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Make a superheterodyne receiver

45年の時を越え、もう一度BCLの世界へ / 回顧録

積年の雪辱を果たす・元ラヂヲ小僧の46年越しスーパーラジオ製作











バイブルだった<初歩のラジオ>

 私が小学6年の頃に、BCLブームは黎明期から過渡期へ入ったと思う。 クーガ115、スカイセンサー5800、トライエックス1600といった家電御三家がリリースしたBCLラジオが日の目を見て広く認知され始めた時期。 私でもそれを知る機会があったのだから、間違いのない所だろう。

 このようなバックグラウンドがあったことを前提に話を進めていく。ブームに触発された私もBCLラジオを心底欲したが、 「たかがラジオ」に20000円前後の出費を強いるため、小学生にとっては容易に手の届かない趣味、そんな一面を持ち合わせた。 その頃ラジオ広告が沢山掲載されている・・・との単純な理由で購入したのが初歩のラジオ(誠文堂新光社)だった。 これがトリガーとなり電子工作の世界を垣間見ることになる。

 少数ではあるがクラスメートがBCLラジオを手に入れている渦中で、高価で買ってもらえないのなら作ってしまえ! 大袈裟に言えばそんな反骨心から自作へ傾倒したわけである。 最初はラジオ広告を見たいがために購入していた初歩のラジオ(以後、初ラと記す)だったが、 掲載されている製作記事にも興味を持ち始めた。同様の書籍でラジオの製作(電波新聞社・以後、ラ製と記す)もあり、その傾向は強くなっていった。

電子工作部へ入部

 中学へ入学すると電子工作部があると知り、迷うことなく入部した。部長をはじめとする3年生は皆アマチュア無線免許を有していて、 無線工学に準ずる基礎知識を彼らから学ぶことになる。 初めての製作では、部長から何を作りたい?と問われ「短波が受信出来るBCLラジオ」と答えたが、「最初からそんなのは無理!」とバッサリ。 実際の初製作はトランジスタ1石(2SC372)による高一ラジオだったが、未完成(不動)に終わった。 1週間に亘りステップバイステップで作業をしたが招いた結果は悲惨なもの。ブッブッ・・・と発振音がするだけでラジオとしての気配は全くない。 これではBCLラジオの製作など無理だと痛感させられた。

 進級すると新3年生の中にアマチュア無線免許保有者は誰もおらず、以前のような明確な指導は無いに等しかった。 そこで両親を説き伏せ、アマチュア無線の通信講座を受講。初ラ、ラ製をバイブル代わりに自作の沼にハマっていくが、悲しいかな完全動作品の製作には遠く及ばなかったのである。そんな時期、私の琴線に触れたのが初ラに掲載されていた「スーパーラジオの製作を通して学ぶ電子回路」 (そんなタイトルだと記憶している)なる製作記事。高周波増幅、局発&周波数混合、中間周波増幅、低周波増幅、スーパーラジオを4つの回路に分け、 その基礎を学ぶといった内容。回路が4分割されたことで、それぞれの回路における失敗があっても全体に波及しないメリットがある、と踏んだ私はこの製作に手を染める。キットにおける6石スーパーラジオ(ゲルトラ)は製作済みでこれは完動。そこでC372やC945を用いたラジオも作れるだろうと思ったのだが、 悲しいかなこれも失敗に終わった。

高周波回路が作れない!?

 話は前後するが高1ラジオ製作の失敗に端を発し、その後低周波増幅3石ラジオ、1石レフレックスラジオ、2石短波ラジオ、3石VHFラジオ、 1石プリセレクタなども不動の連発。ゲルマラジオは作れたがBCLラジオには遠く及ばず、パーツ代もタダではなくここまで失敗が続くと 親から購入代を貰えなくなった。心も折れるが資金も続かない。 アマチュア無線免許も取るつもりでいたが、アンテナを含む高価なトランシーバーなど買ってもらえるはずもなく八方塞り。 「初心貫徹ならず」で、電子工作からは遠ざかることとなった。 BCL関連の製作に舞い戻るキッカケは、30余年後の2009年・・・。

齢(よわい)50にして再び・・・

 成り行きは割愛するが、2009年にネットオークションにてYAESU FR-101を落札。当初はそのままの状態で使用していたが、徐々に受信音が小さくなりやがて音が出なくなったのを機にリペアを施した。原因はいくつか挙げられるがまずケミコンの全数交換。IF基板の不具合により基板ごと交換。 続いて各基板に装着されているマイラコンデンサ(フィルムコンデンサ)の全数交換。パーツ交換を施した上、さらなる復調を目指し各部調整を決断。 SSG、オシロスコープ、ミリバル、デジタル周波数計測器を揃えた。この後クーガシリーズの落札、これらの調整や不具合のあるものはパーツ交換を行った。どこまで性能復帰したのか確かめる術はないが、通常の受信には支障をきたさぬ程度に仕上げた。

 コロナ禍で職を失った時間を利用して、フルスクラッチにてDXに堪え得る中波受信用レシーバー(ラジオ)の製作に取り掛かったが、 一応の動作は確認出来たものの実用には程遠い仕上がりで一旦これを凍結。FRG-7による国内民放中波局制覇を目指し周辺機器としてアクティブプリセレクタ、 ウェーブトラップユニット、RFプリアンプ、アンテナチューナ等を製作。 高周波系の製作がことごとく失敗に終わった過去が嘘のように、快調に動作する様は感動的である。 これらに至っては手本となる作例もあるが自前の環境に則したカスタムを施した。

これら補器類の製作を通して、高周波回路の基礎を習得し直した・・・とも云える。この経験を糧に凍結していたスーパーヘテロダイン式ラジオのリファインを行った。未だ詰めの甘い箇所が山積しているが、一応の完成をみたと言ってもいいだろう。手本となる回路図をもとにカスタムを施してあるせいか、 調整は困難を極めた。また1IC+5TR構成のラジオだからと安易に考えた結果として、設計した電源回路がこのラジオの動作を賄えぬほど貧弱で、 改めて電源回路の重要性を認識した次第。同時にバリコンを擁する回路を製作する際にはその躯体の堅牢性が、 ラジオ本体回路以上に影響することを痛感されられた。たかがラジオ、されどラジオを再認識した製作であったことを最後に付け加えておく。 中波シングルスーパーラジオと侮ることなかれ・・・。






 ☆ 外観。
上の画像は凍結時のもの。下の画像では市販無線機のツマミを装着してそれらしい雰囲気となっている。受信周波数はLEDによるデジタル表示。 フロントパネルは2o厚のアクリル板。バーニアダイアル選局とするにはあまりにも強度不足。(パネルがたわむ=バリコンシャフトが微動=受信周波数が変動) 急ごしらえ故の弱点である。シャーシ代わりにMDFボードを用いた。

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動作検証のために基板を並べただけの初期状態。ワイヤリングも不必要に長い。



フロントエンド&OSC、MIX回路基板を立体的に配置。ワイヤリングも最短にした。シャーシのアルミ板は0V電位(GND)となっている。各基板のアースはここへ落としてあり、電源電圧や動作電流は以前に比べ格段に安定した。



干渉防止のためOSC&MIX回路をシールド板(0V=GND)で覆った。電源のレギュレーションが悪いので整流&平滑回路をシャーシへ移設。映えだけはラジオではなく本格的レシーバに見える?

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選局用ポリバリコンは、バーニアダイヤルとシャフトカップリングを介して繋いでいる。PVCを取り付けたパネルが不安定で受信周波数が動いてしまう。 シングルスーパーなのだが、選局用VCは通信機のVFOと同様の振る舞いをする。



バリコンを取り付けたパネルと前面パネルをボルトで連結、構造的安定を目指すが前面パネルの強度不足は変わりない。前面パネルを金属製に交換するか、 天板を装着して筐体の強度を増す対策が必要。

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アンテナはバーアンテナではなく、1turn 2.6メートル長の同調式ループアンテナを装着。 同調用(共振)VCは、局発VCと完全に独立しているため、別途チューニング作業が必要となる。 正確にトラッキングを合わせるには同調用VCにも減速メカを用いての微調整が必須。八重洲無線HFトランシーバーのプリセレクタに採用されていた 減速機構付きのカップリングシャフトを用いて実現している。

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問題ありのIF増幅回路。AGCが正常に働いていない様子。定数を変えてみたが納得のいく状態にはならなかった。 4年前の製作スキルでは限界だったようだ。現在であれば、もう一度作り直せば少なくとも現状よりはマシな結果となるはずだが・・・。

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リベンジ製作・あとがき

 試作機ではあるが46年越しのスーパーラジオの製作は、とりあえず動作品として完了した。 当時への仕返しとして作業に取り掛かったが中学生だった私が筐体構造を含めて現状のようなレベルまで仕上げることが出来たのか? と考えるに、それは到底無理であっただろう。もし中学生の私が当時これだけのものを作れたのなら、100点満点の作品だったに違いない。

 また当時と圧倒的に異なるのがパーツ類や製作ツールの充実。40年前では考えられない。 測定器もデジタルテスターやLCRメータなど当時では揃えられなかった。 2000円(当時)にも満たない初心者用の電子工作用ツールセットを用い作業していたが、今ではハンダゴテだけでも4本、ラジペン、ニッパでも単品で2000円越えのクオリティ。ドライバも20本以上、IFTなどのコア調整に使うセラミック製ドライバや真空管回路にも使える絶縁ドライバもある。 髪の毛がつかめるピンセットに至っては、1丁で1500円。配線材も単線から撚線まで、線径まで異なるサイズを用意。 ハンダ付け作業においては、小型万力や基板固定台のおかげで両手をフリーに出来るようになった。当時は手で基板を持ってはんだ付けなど当たり前。 熱が伝わり手で持っていられないことなど枚挙にいとまがない。トグルスイッチ、VRのハンダ付けなどその最たるものだった。 これでは天婦羅ハンダ、イモハンダとなっても仕方あるまい。

 こういった環境の不備や作業工程の未熟さが積み重なり失敗を繰り返していたのだろう。


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