開業から時間が経ち、太平洋戦争が終わって世の中が落ち着き始めた昭和25年10月、長原前駅は開設された。付近に清嶺中学校が開校したことに因ると云われてゐる。 沿革は他所に任せるとして、田口線跡を追いかけていくとところどころ霧に包まれたやうにはっきりしない事象に出くわす。長原前駅はまさにそれである。
ネット上では先達諸氏がアップロードされたいくつかのサイトで「長原前駅」が取り上げられてゐるが、決定打となる記事には巡り合えていない氣がする。
崩壊し道路面より高い場所にある坑口、行き止まりの隧道、駅の前後は寸断され連続してゐない状態では現存時の様子を想像するだに難しい。
万寿隧道と並んで田口線の「KING OF UNKNOWN PLACE」と言えやう。
昭和48年8月29日・・・台風により長原前駅付近は土砂崩れで運行不可に陥ってゐた。奇しくも廃線2日前の出来事である。
閑話休題・・・現在、長原前駅跡へアクセスするには、257号を田口側から清嶺トンネルを抜けて直ぐに左へ曲がる道へ入る。
この道は町道扱いで、「北設楽郡設楽町道133号竹桑田清崎呼間線」と云ふ。長原前からしばらくは田峯方向にガードレールが設置されたり路面もアスファルト舗装されているが、清崎第二隧道へ辿り着く前にそれらの存在は消えてしまふ。
この町道、本来であれば現在の新竹桑田橋へ至るまでの道路を指すのだらうが、 途中の清崎隧道群や4カ所ある橋梁跡を含めて 車はもちろん自転車・徒歩にても踏破出来る状態ではなく、町道としての機能は全く果たしていなひ「廃道」と呼んでも云いだらう。
寒狭川に沿ってこの町道を進むと入口からそれほど遠くない場所、左側に崩れた坑口(隧道入口)が侵入方向とは逆側に確認できる。
これが「清崎第三隧道」の遺構となる。町道路面より高い位置にあるが、これは当時の路盤の名残である。
営業当時の雪化粧した長原前駅。清崎第三隧道を出てきた列車。隧道出口に駅があった。
列車は田峯方面へ向かっている。
清崎第三隧道と長原前停留所ホーム。隧道を抜けると清崎駅へ続く。
開業から19年後に設営された後付け駅ゆえに、物理構造的な問題を内包していたのだらうか。
崩壊した長原前駅跡、現在の様子。隧道坑口がここに停留所があったことを物語ってゐる。
悲しいかな往年の面影は無いに等しい。軌道(レール)が高い位置を通っていたと分かるであらう。
撮影:2025年5月1日
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