傘川橋梁がワンスパンだと思い込んでいた故、中間にあったはずの橋脚を知らずにいた。それが間違いだと分かり、改めて橋脚跡を探すことになった。

境界標とは異なるが、廃線後測量時に田口線跡を示したもの。峰第四隧道を出て、傘川橋梁跡へ向かう途中にある。

峰第四隧道を抜けると傘川橋梁跡もっとも有名な架線柱が視界に飛び込んでくる

レールによる支柱は現在もその役目を果たし続けている。

傘川橋梁は対岸へこのように架かっていたと思われ。中間の青線あたりに橋脚があったのだろう。
下に見える道路は県道32号線

架線柱は敷設より一世紀となるが、纏わりつく植物に負けぬ堅牢な造り

勝手な妄想だが、橋脚の台座と思しきコンクリート塊が見えている。
県道32号の築堤に埋まっているように見受けられる。ガードレールとの位置関係にも注目。
コンクリート塊の規模が分かる。新道路敷設に伴い、橋脚を撤去した際の残滓と思われるが・・・。

意図を持って形成されたものであることは明らかだろう。

橋脚を解体した際に分離したコンクリート塊だろうか?

塊だったものを壊したのは間違いない。管らしきものも見えている。

県道32号ガードレール下にある擁壁。
田口線敷設時の旧道時代からあるものなのか、それとも県道32号を整備したときに造られたのか?

傘川橋梁基台を横(北側)から撮影。架線柱の様子も見て取れる。
田口線の歴史を無言のうちに語っている。

測量標?川へ降りる斜面の途中にある。先のものとは別。
ここに限らず、軌道(路盤)跡を歩いていると、わずかであるが散見される。

架線柱側から見た、峰第四隧道の坑口。その向こうは峰第三隧道へ続く・・・
架線柱のレールに記された JOLIET の文字。画像では欠けてしまったが 1886 の製造年も確認出来た。
このページの画像はすべて 2026年2月6日撮影
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田口線(旧・田口鉄道)が廃線になり半世紀が過ぎ、往年の遺構は微動ながらも徐々にその存在感を失いつつある。清崎から先、三河田口までは設楽ダムの工事に伴い、 これが顕著なのは否めない。当たり前だが、昔の話を訊こうにも当時を知る地元民が減りつつある・・・
傘川橋梁跡は基台や架線柱が今も遺っており田口線の中でも認知度の高い遺構ではある・・・が、
他に当時の様子を伺わせるものは軌道跡以外ほとんど残っていない。画像などの資料は稀有と云えよう。
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