h めるてぃんぐぽっと / 田口線の痕跡を辿って 旧 田口線 清崎隧道群 〜 長原前停留所

半世紀余の時を超え、廃線跡を辿る

Chase the Shadow of OLD Taguchi Railway


















号外・・・田口鉄道、隧道探訪  番外編

 2025年5月14日、未到達であった清崎第一隧道へ向かってみた。

清崎第一隧道・橋梁群

 以前、長原前駅の探訪にて軌道跡を南へと移動した際、清崎第二隧道を越えたのち清崎第一隧道手前まで踏破したが、ここへは未到達のまま。 理由はIビーム橋梁を渡れなかったため。綱渡り状態で3〜4メートル高の橋桁を越えるのは至難の業、肝の太さも必要とされる。今回は意を決して敢行したが・・・ 

 清崎隧道群は、田峯駅側(上り方面)から、第一、第二、第三、と3つ存在する。長原前駅にあったのが第三隧道で現在の清嶺トンネルに吸収される。 清崎第一隧道は351mあり、稲目隧道、麹坂隧道に次ぐ長さを誇る。寒狭川(豊川)を挟んで現在の国道257号線対岸にあるため、 長原前駅の探索をしなければアクセスしなひままであったらう。



 

 実際には長原前駅跡から田峯方面へ移動してゐるのだが、逆順で画像を紹介する。まずは橋梁跡からである。
 川水面から5メートル以上の高さにあり、とてもじゃないが足がすくんで渡る氣にはなれなかった。
 落下しようものなら骨折程度じゃ済まないであらう。

 立派な桁が掛かってゐるが、橋梁名が付けられてないらしい・・・。
これを渡って軌道跡を進んでもその先は崩落していて  田峯方面には辿り着けない。
個人的には崩落場所を確認したかったのだが。。。



 

 清崎第一隧道、長原前駅方面を望む。倒木が凄まじい様相を呈してゐる。
  反対側の坑口が小さく見えてゐるのが分かるだらうか?



 

 撮影方向は田峯方面。出口付近に巨大な岩石が!右側壁上部から崩落しているやうだ。
こんなのが落ちてきたらひとたまりもない。簡単に通れるからと云って危険が伴う事を忘れてはいけなひ。
花崗岩であらう。長石や石英がキラキラしてゐる。風化しやすいのか、坑道内で崩落した岩があちこちで散見される。



 

 坑内脇に線路の枕木に使われたと思しき木材が何か所かで確認出来た。何故わずかに残されたのか不思議である。
路盤にも枕木の跡らしき「くぼみ」が見受けられた。悲しいかな持参した装備では光量が足りず撮影出来なかった。



 

 長原前駅方面出口付近にて、風化した花崗岩が砂利状になって坑道内へ崩れていた。
  コンクリート壁の天井の外側は空洞化してゐるのではないだらうか?隧道の寿命は長くないであらう。
  間もなく100年が経とうとしてゐる・・・当然の帰結か。



 

 清崎第一隧道坑口、田峯方面を望む。こちら側の荒廃っぷりは向こう側に比べれば少ない。



 

 西山橋梁。誰が置いたか定かではないが、踏板が2本掛かってゐる。だが、右側の踏板は腐朽が進んでおり、
体重を乗せると間違いなく折れる。左側の踏板は強度はあるが、底面が曲面のせいか左右にグラグラし安定しなひ。
これに乗って渡るときには注意しなければならない。今回は左側の踏板を使い渡った。

右側の沢へ降りて対岸へ移動も可能だが、田峯側から長原前側へ行く時には両手がフリーになっていないと無理。
片手だけでは足場が悪く下りられない。向こうから田峯側への移動は何とかなる。画像は長原前駅方面を望む。

= 立ち入り禁止区域となっているので自己責任においての行動と認識されたし =



 

 西山橋梁。長原前側から撮影。橋を渡った先に清崎第一隧道がある。



 

 西山橋梁を沢に下りて横から撮影。橋桁両端の基台は堅牢な造りとなってゐる。
余談ではあるが、清崎第一隧道を出てこれら橋梁を渡る列車の動画がNHKアーカイブスで観られる。
リストアップされてゐるうちにアクセスされたし。(2025年8月現在、閲覧可能)


 

 短い区間にIビーム橋梁が連続する。こちらには正式な名称が付いていない。
  山側の沢を渡れば迂回が可能。 危険が伴うので橋桁上の移動は極力避けたい。



 

 清崎第二隧道(119m長)・田峯側坑口。1/3近くが土砂で埋まってゐる。廃線後の土砂災害も重なっていやう。
大雨の後は、隧道内に水が溜まるやうだ。  


 

 清崎第二隧道・田峯側坑口・隧道内から撮影。
碍子が目の前に来るほど、大量の土砂が坑口から内部に流れ込んでゐる。   



 

 清崎第二隧道・長良前側坑口

清崎側より隧道内部を撮影。田峯側坑口より流れ込む雨水が溢れて流れ出る際、
路盤を浸食してこのやうな状態となってゐる。一朝一夕の有様ではなひのは明らか。
見ての通り隧道はカーブしており、反対側坑口は直接目視出来なひ。


 

 清崎第二隧道・清崎側坑口
隧道内より撮影。右斜面より流れ込んだ土石。壁面も崩れた土砂の圧力を受け劣化してゐる。
竣工よりおおよそ1世紀が経過、強度は低下の一途を辿るであらう。



 

 清崎第二隧道

左側から土砂が崩れてゐる様子が伺えやう。此処は廃線後の崩落と思われる。
開業から後々田峯〜三河田口間では幾度も土砂災害に見舞われてしまふ。
予算不足や戦時下に於いて安全確保のための保守工事も満足に行われなかつたのだらうか。
モータリゼーションの普及と並んで田口線の経営を圧迫する最大の要因でもあつたと云われてゐる。

清崎側から撮影


 

 清崎第二隧道を出て長原前に向かう軌道跡

隧道よりほぼ同じ曲率のままカーブしてゐると思われる。
両端には石積みが散見され、軌道跡の名残を感じられる。

このあたりは未舗装であり、河川側にガードレールもなひ。
町道133号と呼ぶには、お粗末すぎる状況であらう。
とりあえず徒歩で往来する分には問題ないが・・・


 

長良前に向かう町道133号・竹桑田清崎呼間線。(軌道跡)
途中からガードレールが見えてゐる。アスファルト舗装もこのあたりから残ってゐる。


 

土砂に埋まる町道(軌道跡)

清崎第二隧道を出て長原前へ向かう途中、ガードレールを押し出すほど土砂が山側から崩れてゐる。
町道として整備された後も土砂崩れは幾度もあったやうだ。

田峯・清崎間の軌道は脆弱な場所を通す術しかなかつたのか?
開業から約40年、昭和43年8月まで持ち堪へたことに感謝すべきだらう。




 

長良前停留所が在ったと思しき場所

画像中央付近から右側が高くなってゐるが、ここを軌道(路盤)が通ってゐた。
ホームは路盤に合わせて高く設置され、ホーム裏は一段低くなってゐたやうだ。
田口線開業当時は清嶺橋や清嶺トンネルは存在せず、そのあたりの景色は今とは
全く異なってゐたであらう。

※ 特筆なき画像は、2025年5月14日撮影





Next Stop 長原前停留所