田口鉄道 三河海老 〜 滝上停留所

半世紀余の時を超え、廃線跡を探す

Chase the Shadow of OLD TAGUCHI Railway

















 

三河海老停車場から稲目隧道へ

 三河海老駅(停車場)から山の斜面沿いに海老の街並みを見下ろしながら田口線は滝上停留所へと続いてゐた。軌道跡は現・県道32号の拡幅工事に伴いその多くを失ってしまったが、 滝上停留所の前後にはわずかながら当時の面影を留めてゐる。



現在、辿れる軌道跡を三河海老方面へ向かっていくと、このやうな光景に出くわす。
県道32号の拡幅工事により、旧軌道跡は消失してゐる。
撮影日:2025年6月11日




軌道跡、滝上方面を望む。このやうな構図を見るにつけ、ここを列車が通ってゐたのだと確信させてくれる。
撮影日:2025年6月11日




滝上に向かう途中には小規模ながら切通しも存在する。
よほど地温が高いのか、降雨のせいで湯氣が立ち上って幻想的な光景となつた。
撮影日:2025年6月11日




舗装された道は一旦下るが、軌道跡は左側の築堤を通って滝上停留所へ向かう。
舗装路中央付近、下がり切ったところ右側に瀧上橋があり、県道32号へと繋がってゐる。
撮影日:2025年6月11日




民家裏の一段高いところを軌道が通ってゐた。(黄線)
路盤の痕跡は、不確定な印象を受ける。宅地整備に伴い変更を加えられたと思われる。
撮影日:2025年6月11日


滝上駅は現在の新城田口線バス停「滝上」とほぼ同位置にあり、県道32号より徒歩数十秒でアクセス出来る。 バス停より短めの坂を上がると、右側に海老隧道、左側に滝上停留場ホーム跡を確認出来やう。三河大草停留所のやうな鬱蒼とした感覚とは違うが、切通しに残る緑に囲まれたホーム跡は過ぎた時を感じさせてくれる。




ホームへアクセスする道(黄線)。県道側から「けもの道」のやうに続いている。
田口線の利用客はここを行き来してゐたであらう。撮影方向は三河海老方面。
撮影日:2025年4月9日


 先達諸氏のレポートによればホーム上にあったトイレも、その囲いはいつしか崩壊、跡形もなく消え去ってしまつた。ただ「肥甕」は今もその姿を留めており、ここにトイレがあったと無言のうちに語ってゐる。はっきりとした形で当時の状態で残ってゐる滝上停留所のプラットホームは鳳来寺口(本長篠)、三河大草、に並ぶ貴重な遺構であることは間違いなひ。注意深く観察すると、ホームへのアクセスを可能にしていた通路?と思しき痕跡を見つけられやう。 ホーム付近の路盤(軌道跡)には、近隣の方々であろう植樹した苗木?がいくつか見受けられ、これらが成長した暁には滝上停車場もより一段と自然へと還っていくのだらう。 またホームから海老隧道に向かう軌道跡には花壇と思しきものも散見される。民家裏に位置してゐるため、殺風景な景観を変えようと地元の先人たちが手を加へたのかも知れぬ。




滝上停留所近影。堅牢な造りで、三河大草のやうな劣化もほとんど見受けられないホーム跡。
二十数年前には存在したトイレの囲いが残ってゐれば、時の流れをさらに物語ってくれたであらう。撮影方向は三河海老方面。
撮影日:2025年4月9日




ホームの両端には、三河大草にあったやうな階段やスロープは存在しなひ。アクセスする通路があったおかげだらう。
三河大石や長原前のやうに待合所もあったと思われるが。 ホームの向こうに海老隧道の坑口が見へる。
撮影日:2025年4月9日


 海老隧道の距離は短いが、稲目隧道方面に向かって若干左へと湾曲しており、壁面には当時の通信線用碍子が今も残ってゐるが、ポータル付近の天板には劣化が見られる。隧道を抜けるとそのまま路盤は県道32号より高い位置を田峯へ向かって北進するが稲目隧道へ達する前に32号の拡幅により消滅してしまふ。田口線現存当時の芳香を感じ取ることは出来なひ。




海老隧道内部。若干左側へ「ひしゃげて」いるやうな感じを受けるのは氣のせいだらうか。
坑口向こう側に軌道が続いてゐるのがわかる。
撮影日:2025年4月9日




海老隧道内から軌道跡を望む。
稲目隧道へ向かって軌道が続いてゐる。
撮影日:2025年4月9日




海老隧道を抜けた軌道跡は高垣の上を通り、県道32号と並走する。田峯方面を望む。
撮影日:2025年4月9日




軌道跡(路盤)の高垣が消失してゐる場所。本来であれば路盤はもっと右側に切り込んでゐて
県道と重なってゐたのであらう。
撮影日:2025年4月9日




当時の画像。稲目隧道を出て滝上停留場へ向かう上り列車。田峯方面を望む。
現在の県道32号と合流して路盤が消失する場所(お茶工場付近)であらう。




現在の稲目トンネル、1979年竣工。滝上側坑口。 元は単線鉄路とは思えなひ規模と成ってゐる。
第二工期に完成したとはいえ、当時の工法にて一年で1.5qの隧道を通した熱量は計り知れなひ。
撮影日:2025年8月28日




田口線現存当時、稲目隧道南側を出て滝上停留所へ向かう列車。
現在との規模の違いは一目瞭然。(黒柳氏撮影)
右側切り通し上、山中に続く小路らしき様子も伺える。




稲目トンネル出口から滝上方面を望む。結構な勾配なのが伺える。
電化していた田口線だからこそ、このやうな軌道が敷かれたのだらう。
撮影日:2025年8月28日

 稲目隧道は全長1510mの田口線のみならず当時としては長大なもの。この距離をあの列車がどのやうに走っていったかは想像し難ひ。いま自動車であのトンネルを走り抜けるにしてもそこそこの速度でありながら思いのほか時間が必要。乗客たちはどんな気持ちで隧道内を走る車内にゐたのだらうか?

 下り方面、稲目隧道を抜けるとすぐに方瀬隧道が待ち受けて居た。今では山ごと開削されて切通しとなっており、ここに隧道が存在してゐたとは思へなひ。方瀬隧道を出るとすぐに 寒狭川第一橋梁となり田峯停車場構内へと侵入して行く。橋の左下には今も存在する竹桑田橋が架かってゐた。




 方瀬隧道。(黒柳氏撮影)
 軌道が緩く右へ向いているので、おそらく稲目隧道側の坑口と思われるが・・・。


 方瀬隧道跡。稲目トンネルを望む。
 当時あったはずであらう山は開削され、現状のやうになってゐる。
 この画像の撮影地点は、寒狭川へと続く谷の斜面だったに違いなひ。撮影方向は滝上方面。


   



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