鳳来寺駅から北へ向かうと、やがて軌道は左へ反れ小高い山へ吸い込まれるように延びてゆく。これが田代隧道となる。現在徒歩であれば通行可だが、基本的には通行止め扱いになってゐる。
隧道入口にはその昔存在していた青少年旅行村の看板が寂れながら今も設置されたままで、隧道の目印となってゐる。廃線後も地元民が利用してゐたためか管理が行き届いており、50年余経過した隧道の割には劣化はそれほど酷くない。隧道は緩やかに左へカーブしており、延長は74m。
隧道を抜けると見通しのよい「広場」に出る。昔は畑だったと思われる。しばらく進むと音為川が流れておりミニマムサイズの田代橋梁が掛かってゐた。
これを越えると麹坂隧道入口へと向かう。廃線後は川を渡ったところが青少年旅行村であった。残念なことに田代川橋梁は音為川護岸工事に伴い2025年、撤去された。
導のない平原で軌道の方向を示して居た田口線遺構が、またひとつ消えてしまったことは寂しい限りである。
橋梁の延長線上を進むと、やがて麹坂隧道の坑口が見えてくる。稲目隧道、万寿隧道に次ぐ3番目の長さを有し、延長は441m。入口は湧水で一面ぬかるんでおり、
前進を阻む。一部は水溜まりのやうで靴がすっかりズブ濡れとなってしまひ、南側からの侵入を諦める外なかった。上水道管が隧道内に埋設されて居ることも関係しているのだらうか?坑口付近は旅行村時代の残滓も見受けられた。
話は反れるが、この日カメラを手にあちこち撮影していると関係部署と思われる作業着姿の職員からお叱りを受けた。「立ち入り禁止区域へ勝手に入られては困る! どういった要件か?」と居丈高に言われ、「田口線遺構の写真を撮りに来た」とこちらの旨を正直に伝えた。見ようによっては「何だまたか」といった表情を浮かべて 「トンネルの出口は鳳来寺小学校近くのバス停あたりへ抜けてるから、ここから入ることなく、直接そっちへ行って。」と言い放った。
すみませんね・・・と返事をしながら橋梁跡まで戻ってくると「内部は2か所ほど崩れていると報告受けてるから、危険ですよ。無断で入ってどうなっても知りませんよ。」と付け加えた。確かに、万が一崩落があったりして身動き取れないような状況に陥ったら、見つけてもらうまで時間がかかるであらう。命の補償はない。
出口側(北側)はすでに訪れていたので南側はどうなってゐるのか?と。あわよくば侵入を試みやうと思ってゐたのは間違いのなひ所だが。。。殺伐とした空気が流れてしまったので件の職員に<「青少年旅行村」ってどんな感じだったのか?>と逆に質問をぶつけてみた。実際ネットで検索しても画像等は一切ヒットせず、何か情報を引き出せないかと思ったのも事実である。職員はあちこち指さしながら「事務所はそこにあった」「バンガローは向こう側だな」「キャンプ場はこの上だよ」と説明してくれた。
南側からの侵入が叶わずで、画像は北側からの紹介へ移る。隧道を抜け、玖老勢へ向かう起点となる「大栗平」バス停までは、鳳来寺駅以前の旧軌道の雰囲気を保ってゐるが、
以後北へ向かうにつれ軌道跡は舗装路に姿を変え廃線の芳香は薄れていく傾向にある。鉄道用に開拓したリソースを無駄にしないと云ふ視点では合理的であらう。